ブックタイトル工連ニュース2020年1月号

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概要

工連ニュース2020年1月号

グレスビー氏は、第二次世界大戦後の1950年、灰燼と化した沖縄に米国民政府職員として赴任。沖縄で勤務した16年の間、現沖縄県工業連合会の前身である「琉球工業連合会」のアドバイザーとして深く関わり、沖縄の経済、特に工業の振興に献身的に尽くされました。氏の没後、沖縄県工業連合会では氏の功績をたたえ、毎年命日である12月20日に、那覇市泊の外人墓地内に建立された氏の顕彰墓碑前で追悼式を行っています。 当日は小雨が降るあいにくの天気でしたが、多くの関係者が参列し、賛美歌の斉唱と献花を行って氏への感謝と尊敬の意を示しました。  沖縄県工業連合会 古波津昇 会長は、「オグレスビー氏の功績を後世に語り伝えるとともに、私ども自身が沖縄の産業発展のため、鋭意努力することをお誓い申し上げます」とあいさつし、参列者と沖縄産業界発展への思いを共有しました。 沖縄県工業連合会ではオグレスビー氏産業開発基金を通して、オグレスビー氏工業功労者賞はじめ、県内の工業高校・高専で学ぶ学生への学資援助を目的としたオグレスビー氏奨学金などの活動を継続して行っており、沖縄のものづくり人材の育成に寄与しているほか、オグレスビー氏の功績と遺志を次世代へ語り継ぐ活動を続けています。オOglesby, Samuel C.故サムエル・C・オグレスビー氏第53回追悼式 日付: 令和元 年12 月20日 (金)場所:那覇市・泊 外人墓地那覇市泊の外人墓地内にある故サムエル・C・オグレスビー氏の顕彰墓碑前にて、第53回追悼式が沖縄県工業連合会の主催によって行われました。「沖縄産業の恩人」サムエル・C・オグレスビー氏(1911~1966)沖縄県工業連合会古波津昇 会長賛美歌を唱う参列者オグレスビー顕彰墓碑 サムエル・C・オグレスビー氏は、1911(明治44年)年10月25日、アメリカ合衆国バージニア州で生まれ、1933(昭和8)年、メリーランド大学博士課程を卒業します。1942(昭和17)年米国陸軍に従軍し、1945(昭和20)年3月には、米陸軍政府将校として来沖し、その後エール大学で極東問題と日本語の研鑽を積みました。 同氏は、1950(昭和25)年3月、第二次世界大戦終焉の激戦地として灰燼と化した沖縄に米国民政府職員として赴任され、沖縄の良き理解者として沖縄の経済、特に工業の振興に献身的に尽くされました。沖縄勤務の16年間、琉球工業連合会(現沖縄県工業連合会)のよきアドバイザーとして深くかかわり多くの産業を育てました。製糖、味噌醤油、食油、ビール、セメント、鉄筋、合板、菓子類に至る各製造業の90%は同氏の後援・指導を受けました。 1963(昭和38)年5月21日に琉球工業連合会は創立10周年を迎え、これを記念して、会員の芳志を募り、オグレスビー氏の胸像を制作することを決定しました。やがて、胸像が完成し、翌年1964(昭和39)年12月2日、贈呈式と祝賀会が行われました。その2年後、1966(昭和41)年12月20日、オグレスビー氏が逝去。「沖縄に埋葬してほしい」との遺言により、泊外人墓地に埋葬されています。沖縄産業の恩人 故サムエル・C・オグレスビー氏1967(昭和42)年オグレスビー氏の長年の功績を記念して、「オグレスビー氏産業開発基金」が設立されました。同基金では毎年、沖縄の工業発展に著しく功績のあった方に「オグレスビー氏工業功労者賞」の授与と工業高校・沖縄高専の学生に奨学金を支給しています。オグレスビー氏産業開発基金OKINAWA INDUSTRIAL  12