ブックタイトルkouren638

ページ
14/28

このページは kouren638 の電子ブックに掲載されている14ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

kouren638

12291051年恒例となっている、「沖縄産業の恩人」サムエル・C・オグレスビー氏の追悼式が、沖縄県工業連合会によって今年も行われました。 オグレスビー氏は、第二次世界大戦後の1950年、米国民政府職員として沖縄に赴任。沖縄で勤務した16年の間、現沖縄県工業連合会の前身である琉球工業連合会の良きアドバイザーを務め、沖縄の経済、特に工業の振興に献身的に尽くされました。氏の没後、県工業連合会では氏の多大な功績をたたえ、命日である12月20日には那覇市・泊の外人墓地に建てられた顕彰墓碑の前で追悼式を行っています。 追悼式では、呉屋守章会長が会を代表して「オグレスビー氏の功績を後世にしっかり語り継ぎ、我々も沖縄の産業の発展に寄与していかなくてはいけない」と挨拶をし、参列者全員で賛美歌を歌い、墓前に花を捧げました。 沖縄県工業連合会では、オグレスビー氏工業功労者表彰や、県内で工業を学ぶ学生に奨学金給付を目的とするオグレスビー氏産業開発基金を設立するなどし、オグレスビー氏の功績と遺志を次世代へ繋ぐ活動を続けています。毎Oglesby, Samuel C. 故サムエル・C・オグレスビー氏第51回追悼式 日付: 平成2 9年12 月20 日(水)場所:那覇市・泊 外人墓地12月20日、那覇市泊の外人墓地内にある顕彰墓碑前で、故サムエル・C・オグレスビー氏の第51回追悼式が行われました。参加者たちは花を捧げ、氏への感謝と尊敬の意を示しました。「沖縄産業の恩人」サムエル・C・オグレスビー氏(1911~1966)沖縄県工業連合会呉屋守章会長参列者一同による賛美歌斉唱オグレスビー顕彰墓碑 サムエル・C・オグレスビー氏は、1911(明治44年)年10月25日、アメリカ合衆国バージニヤ州で生まれ、1933(昭和8)年、メリーランド大学博士課程を卒業します。1942(昭和17)年米国陸軍に従軍し、1945(昭和20)年3月には、米陸軍政府将校として来沖し、その後エール大学で極東問題と日本語の研鑽を積みました。 同氏は、1950(昭和25)年3月、第二次世界大戦終焉の激戦地として灰燼と化した沖縄に米国民政府職員として赴任され、沖縄の良き理解者として沖縄の経済、特に工業の振興に献身的に尽くされました。沖縄勤務の16年間、琉球工業連合会(現沖縄県工業連合会)のよきアドバイザーとして深くかかわり多くの産業を育てました。製糖、味噌醤油、食油、ビール、セメント、鉄筋、合板、菓子類に至る各製造業の90%は同氏の後援・指導を受けました。 1963(昭和38)年5月21日に琉球工業連合会は創立10周年を迎え、これを記念して、会員の芳志を募り、オグレスビー氏の胸像を制作することを決定しました。やがて、胸像が完成し、翌年1964(昭和39)年12月2日、贈呈式と祝賀会が行われました。その2年後、1966(昭和41)年12月20日、オグレスビー氏が逝去。「沖縄に埋葬してほしい」との遺言により、泊外人墓地に埋葬されています。沖縄産業の恩人 故サムエル・C・オグレスビー氏1967(昭和42)年オグレスビー氏の長年の功績を記念して、「オグレスビー氏産業開発基金」が設立されました。同基金では毎年、沖縄の工業発展に著しく功績のあった方に「オグレスビー氏工業功労者賞」の授与と工業高校・沖縄高専の学生に奨学金を支給しています。オグレスビー氏産業開発基金OKINAWA INDUSTRIAL 12FEDERATION NEWS